FC2ブログ

朝日新聞掲載の満洲国特集を読んで

 先日、友人に朝日新聞の切り抜けをたくさんもらいました。現在朝日新聞は1ヵ月に一回のペースで満洲国に関する特集を組んでいるようです。私の指導教官も寄稿されていました。いろいろなところで活躍されているんだなぁと思いました。自分も精進せねば!!
 私が注目した記事は2007年1月14日の朝日新聞11面。ここでも満洲国に関する特集が載せられていました。開拓移民に関するものでした。
 開拓移民。この時代、日本政府は満洲への移民を積極的に推進していました。そこで経済圏、防衛圏を確率し、日本経済、防衛の発展のために役立てようとしたからです。(移民推進は19世紀末から推進されています。日本人の満洲への移民は19世紀からすでに始まっていたことでした)
 1945年8月9日にソ連が対日参戦を表明します。このころはアジア・太平洋戦争での日本の敗戦はもはや決定的となっていました。ソ連極東軍は満洲国内(ここでいう満洲)、朝鮮半島になだれ込み、満洲国内、朝鮮半島に住んでいた日本人は一気に日本国内へ退去を始めます。そのときの日本人の中に開拓移民がいました。
 全ての開拓移民が日本へ帰国をはたしたわけではありませんでした。これが今日でいう残留孤児の問題です。詳しくはこの朝日新聞に書いてありますが、現在でも多くの残留孤児の方々が中国東北部には住んでおられます。
 この記事を読んで私が何を思ったかというと、研究に対するイデオロギーを持て!というでした。正直、この記事は自分の研究とは直接関係ありません。この先もこの分野に関して深く調べるということはおそらくないでしょう。ただ、現実問題としてこのような問題が存在おり、それは解決されるべきであるということはよくわかりました。このような現実にある問題はあげればきりがないでしょう。その一つ一つを私が知ることはおそらく無理です。だからその一つ一つがあるということを知っているということを忘れず、研究を続けていく必要があると思いました。ちなみにこの開拓移民問題、私は島根県出身なのですが、島根県でも十分考えなければならない問題です。数年前島根県でベストセラーとなった『クラウディア 奇蹟の愛 』などもまさにこの問題と関係しているところがあります。

クラウディア 奇蹟の愛 (単行本(ソフトカバー))
amazon.co.jp

私のブログにも少し書きました。
島根県と満洲国の関連性

残留孤児は身近に存在します。そのことを心の片隅に置いておこうと思います。
スポンサーサイト



テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

2007-02-12 : ∟満洲国 : コメント : 0 : トラックバック : 0
Pagetop

島根県と満洲国の関連性

 最近、昭和8年版朝日新聞(大阪)のマイクロフィルムを少し観ました。メディアの読み方の方法がわからず、四苦八苦しているうちに面白い記事をいくつか見つけました。その中に、満洲への島根県民移民に関する記事がいくつか載っていました。
 満洲への日本人移民の発端は1890年代中ごろ、日清戦争の勃発と終焉、ロシアの東方進出などにより満洲、現中国東北部に市場が形成され始めたためといわれています。
 昭和8年の朝日新聞(大阪)12月1日の記事で「満洲へ"島根村"建設の緒を掴む」という記事がありました。その要点は


・明年(昭和9年)6月ごろ、島根県下青年団員5名の調査班派遣
→農業経営、他見の移民活動を視察
・明年(昭和9年)10月ごろ、約30家族が第1回移民を開始

さらに12月3日の記事で「島根県物産販売斡旋員委託 -奉天と大連に」があり、その中では

・農産物、副業品、水産物などの島根産の新販路を目指す
・移出の円滑化と販路拡大をねらう

という狙いのもと、「奉天と大連に販売斡旋員を嘱託し」たとありました。これにより、島根県としても満洲進出を積極的に支援しているということがわかります。
 ただし、この当時の新聞の記事は内容が至極曖昧。この「島根県物産販売斡旋員委託 -奉天と大連に」にしても「いつ販売斡旋員を嘱託したのか?誰が嘱託したのか」など、基本的な5W1Hが欠けています。これでは報道の公平性が保てていません。
 自分の身近にも実は様々な歴史的背景があるということを認識しつつ、このようにそれがどのような誤りを含んでいる情報であるか、私たちは選別する必要があるでしょう。

テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

2006-11-20 : ∟満洲国 : コメント : 0 : トラックバック : 0
Pagetop

第2次世界大戦各国戦没者数

第2次世界大戦各国戦没者数
社会実情データ図録 Honkawa Data Tribune
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/index.html


 このHP、面白いなぁ・・・ソ連の戦死者が一番多いのか・・・これは忘れてたなぁ・・・なにより、ドイツ、ポーランド、ソ連、中国などの民間人死者数に注目していきたい。

テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

2006-11-13 : 歴史研究 ~北東アジアの追及~ : コメント : 0 : トラックバック : 0
Pagetop

滬情報機密第26号 8.10.6 満洲国通信社の上海進出其他  ~現代語訳~

*旧字を現代漢字に、カタカナをひらがなに変換した
*表紙に押してあった判子は省略した。表紙は^で囲む。
*これはアジア歴史資料センターにあった資料をそのまま現代語約したものである。原典であるアジア歴史資料センターのURL、データ元等は下に記してある。


^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
情報機密第二六号
昭和八年十月六日於上海
佐藤中華民国在勤帝国公使館附武官

満洲国通信社の上海進出その他

送付先 次官次長 3F参謀長土戦隊司令官
    上海司令官 旅要駐満馬要参謀長
    支那各地 台北武官
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^


満洲国通信社の上海進出その他

 一、国通の上海進出
 満洲国通信社は今回上海に支局を設置するに沢ん人を派ん準備中

なり
 通信連絡は短波無線により英文通信の発表は「プレスユニオン」

によるもその他の通信発表方法等については目下研究中なり

 ニ、国通本社並び支局所在地
本社 新京
支局 (一)満洲国
      奉天、大連、ハルピン、チチハル、ハイラル
    (ニ)支那
      北平、天津、上海(新設)
    (三)支局を存ん休止中のもの
      錦州、山海関、美徳
    (四)近々開設予定のもの
      安東、吉林、龍井村、東京

 三、放送現況
(一)新京、一日六面那文仮名約一万字及「プレスユニオン」宛英文

約一千語の放送をなす
(ニ)奉天、一日二面 ローマ字日本の放送を行う

       (以上満洲国通信社総絡部長升井芳平談)
                        (終)


------------------------
出展:アジア歴史資料センター
http://www.jacar.go.jp/index.html
件名標題(日本語):滬情報機密第26号 8.10.6 満洲国通信社の上海進出其他
レファレンスコード:C05022757700

テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

2006-11-10 : ∟満洲国 : コメント : 0 : トラックバック : 0
Pagetop

失われた環(ミッシング・リング)   ~太平洋戦争開戦~

 連鎖視点の必要性は少し前に書きました。
「連鎖視点」形成のススメ
↑これです。

 連鎖には時代を超える連鎖と空間を越える連鎖があります。時代を超える連鎖、空間を越える連鎖は前に書きました。
変容する地域  ~琉球の消滅と沖縄の出現~
↑これです。

 そんな連鎖する歴史の中で、もう一つ特殊な事象があります。それが「失われた環(ミッシング・リング)」です。ミッシング・リングとは、「いかに繋がりの断絶や喪失があるか、見つけ出す方法」と山室信一京都大学教授は定義しています。歴史の中に、いかに断絶、喪失した箇所があるのか、それがどのように解釈されているのかをここで考えていきたいと思います。

 太平洋戦争開戦の事象として「真珠湾攻撃」があげられます。1941年12月8日のことですね。これは本当でしょうか。既存の歴史家はなにをみて1941年12月8日としたのでしょうか。これは大きな疑問、「失われた環(ミッシング・リング)」です。なぜなら、真珠湾攻撃が行われたことの大本営発表原文は現存されていないからです。
 
 日本放送としては1941年12月8日、午前6時真珠湾攻撃開始と発表しています。しかし、この開始時間や記述は新聞とは大きく異なっています。
 
本八日
『大阪毎日新聞』夕刊
『山陰新聞』
今八日
『朝日新聞』(東京)特別版、夕刊
本日未明
『樺太日日新聞』
『朝日新聞』(大阪)第一夕刊

このように、微妙に開始時間は違いその種類は全部で6種類あります。確かに微妙な違いです。では、ここで始めの疑問に戻ります。
真珠湾攻撃は、いつ行われたんでしょう?

 いや、それは1941年12月8日に行われたんでしょうけど・・・では、この「失われた環(ミッシング・リング)」はどのように機能しているのでしょうか。そもそも公文章である大本営発表が現存していない今日、その意味を考察する必要性があるのではないでしょうか。

テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

2006-10-26 : 歴史研究 ~北東アジアの追及~ : コメント : 1 : トラックバック : 0
Pagetop

変容する地域  ~琉球の消滅と沖縄の出現~

1、地域とは何か 
 地域とはなんでしょうか?どのようなフィールドのことを指しているのでしょうか?

 この問題に答えるには様々な事象の観察、考察を必要とします。とりあえず、定義として広辞苑、ブリタニカ国際大百科事典のものを揚げてみたいと思います。

「区切られた土地。土地の区域。」広辞苑より
「他から区別される特性をもった地表の部分。共通の一体性を持つ場合を特質地域、中心で相互に結びついて一体性を持つ場合を機能地域、または統一(結節)地域という。」ブリタニカ国際大百科事典より

 現代考えられる地域は広辞苑にもあるような「区切られた地域、土地の区域」、もしくはブリタニカにある「共通の一体性を持つ場合の特質地域」であるように感じられます。逆にブリタニカにある「中心で相互に結びついて一体性を持つ場合の機能地域、または統一(結節)地域」とはどのような形の地域なのでしょうか。具体的な例として近代日本の提唱した「大東亜共栄圏」などがあげられるのではないでしょう。日本を中心にして結びついている満洲や朝鮮半島、台湾、南方諸島(現在のミクロネシア諸島)、東南アジア諸国、などです。この地域は日本を中心として政治的、軍事的、経済的に一体性を持っていたと考察することができます。
 これらのことを念頭に置いて、琉球の消滅と沖縄の出現という歴史的な流動性の中で「地域とは何か」という問題を考えてみようと思います。

2、琉球の消滅と沖縄の出現
 19世紀末まで琉球、現在の沖縄は当時の中国王朝であった清朝と日本との間に相互に経済的、政治的、軍事的に従属的な関係であった冊封体制のもとにありました。それが日本の近代化の促進を元に変質していきます。
 まず、1871年の廃藩置県のおりに琉球は鹿児島県の直轄地となります。そしてこのことは当時冊封体制の宗主国であった清朝には伝えられませんでした。琉球は鹿児島県の直轄地となりますが清朝への朝貢は続けたため清朝へは琉球の鹿児島直轄の事件は伝わっていなかったのではと考察できます。
 次に、1875年に日本は清朝への進貢禁止など、清朝との関係に消極的になり、翌年1876年には清朝との国交断絶を琉球藩王に通達します。そのことに関しては琉球側、清朝側から抗議がきます。しかし、日本側は1879年に琉球藩を廃止、沖縄県を設置しています。これにより琉球王朝は完全に消滅し、沖縄は日本という地域に属することとなります。
 琉球の日本帰属に関して、宗主国であった清朝は猛烈に抗議します。それにより1880年、日本と清朝は宮古、八重山両諸島を分割贈与することで一応の解決を見ます。しかし1883年には清朝は琉球藩王の復位を日本に打診するなど、日清の認識の相違は続きます。これ以降、日本は琉球問題を解決済みというスタンスで清朝と交渉を進め、清朝は未解決というスタンスで日本と交渉を続けることになります。
 しかし、1895年の日清戦争の講和条約、下関条約で台湾が日本に割譲されると、琉球の帰属問題は自然消滅します。
 ここで注目すべき点は単に「琉球が日本に帰属された」という事実関係ではなく、その流動性の中で「琉球という一つの独立した国家であり、冊封体制という地域に属していたフィールドの一部が、日本という近代化をはかっていた国家、そののち大東亜共栄圏という一つの地域の形成を目標に行動していたフィールド一部に変質した」という部分です。

3、変質する地域
 ここから、琉球の「属性としての地域」が冊封体制の一部から日本という地域へ変質していったということがわかるのではないでしょうか。ここで始めにあげた広辞苑の定義、ブリタニカ国際百科事典の定義を再び見てみてください。この定義の中には一つ、完全に欠落しており、なおかつ最重要な項目があるということがわかります。つまり、地域とは固定的なものではなく、「歴史的に変質する」ということがいえるのです。歴史的には地域が区切られ、変質し、時代の流れと共に完全に一体化することもありうるのです。
 このような変質する地域は当時の社会にはいたるところで見受けられました。例えば、先ほど少しあげた台湾などは、清朝の一地域から日本に帰属され、現在では排他性を備えた主権を有する一地域にまで変質しています。他にも、現在の朝鮮半島にもそういった歴史的過程を読み取ることができますし、沖縄問題に関しても現在にまで影響力を有している事象であるといえます(主権国家→日本の一部→アメリカの主権下→日本の一部、米軍基地の密集地)。このように、地域の変質はいつ、どこでも起こりうる問題なのです。最近、北朝鮮の核実験問題が大きく取り上げられています。北朝鮮の今後の動向によっては、この北東アジアと現在定義されている地域も変質する可能性があります。ちなみに、歴史的に地域が変質する場合、様々な禍根を残すことが常でした(前述しましたね)。このように地域が変質することをどのようにとらえるのか、それは一種のリスクも想起されるものなのではないでしょうか。
 はたまた、近年新たに作り出された「北東アジア」という地域も可能性に満ちたフィールドであるということがいえます。このように地域とは未知数であり、変質する地域をどう見るのかが、今後重要となってくるのではないでしょうか。

テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

2006-10-25 : 歴史研究 ~北東アジアの追及~ : コメント : 0 : トラックバック : 0
Pagetop

満洲国建国十周年篇 勅語  ~写し~

特輯

建國十周年篇



勅語 (康九年九月十五日)

茲我國建國十周年ノ式典ヲ擧行スルノ期ニ當リ爾有司衆庶ヲ率ヒテ共ニ慶祝ヲ申ブルハ朕ノ心深ク忻トナストコロナリ
溯リテ
天照大神ノ神庥ト
天皇陛下ノ保祐トニ頼リ我國建國ノ業ヲ創メシヨリ茲ニ十載ヲ經
親邦ノ仁義援助ト爾爾有司衆庶ノ至誠奉公トニヨリ以テ今日有リ洵ニ慶幸ニ堪ヘズ惟スニ茲ニ世變方ニ殷ンニシテ時艱未
ダ己マズ朕敢テ夙夜ニ精勵セザラムヤ爾等宜シク克ク朕カ意ヲ體シ至誠一貫仰ギテ
神庥ヲ迓ヘ祗ミテ
明命ヲ承ケ
親邦ノ天業ヲ奉翼シ以テ世界ノ和平逹成ヲ期セヨ朕厚ク望ム焉



-----------------
【出展】
編 満洲国通信社  『満州国現勢 康徳十年版』  2000 株式会社クレス出版
*ページ番号はふられていない。P30とP31の間に載せられている。

続きを読む

テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

2006-09-29 : ∟満洲国 : コメント : 0 : トラックバック : 0
Pagetop
ホーム  次のページ »

プロフィール

Hiroshi

Author:Hiroshi
-MENU-


初めまして、こんつは。
Hiroshiと申します。
どうぞよろしくお願い致します。
私生活を脈絡なく綴る
日記ブログです。

○登山・・・鳥取県大山中心に
・まだまだ初心者です。
・米子クライマーズクラブに所属。


○バイク・・・たまにツーリング
・愛車:CBR250R 2013年式
・バイク歴は7年くらい

○カメラ始めました:
・愛機:Pentax K-70

○キャンプ・・・
・最近は登山&キャンプ、
ツーリング&キャンプの合わせ技が多い

島根県在住

月別アーカイブ

ランキング

以上のランキングに登録しております。

にほんブログ村 アウトドアブログ 登山へ
にほんブログ村

ブログ内検索

PHOTOHITO

PHOTOHITOブログパーツ

アクセスカウンター


現在の閲覧者数: