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第2次世界大戦各国戦没者数

第2次世界大戦各国戦没者数
社会実情データ図録 Honkawa Data Tribune
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/index.html


 このHP、面白いなぁ・・・ソ連の戦死者が一番多いのか・・・これは忘れてたなぁ・・・なにより、ドイツ、ポーランド、ソ連、中国などの民間人死者数に注目していきたい。
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テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

2006-11-13 : 歴史研究 ~北東アジアの追及~ : コメント : 0 : トラックバック : 0
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失われた環(ミッシング・リング)   ~太平洋戦争開戦~

 連鎖視点の必要性は少し前に書きました。
「連鎖視点」形成のススメ
↑これです。

 連鎖には時代を超える連鎖と空間を越える連鎖があります。時代を超える連鎖、空間を越える連鎖は前に書きました。
変容する地域  ~琉球の消滅と沖縄の出現~
↑これです。

 そんな連鎖する歴史の中で、もう一つ特殊な事象があります。それが「失われた環(ミッシング・リング)」です。ミッシング・リングとは、「いかに繋がりの断絶や喪失があるか、見つけ出す方法」と山室信一京都大学教授は定義しています。歴史の中に、いかに断絶、喪失した箇所があるのか、それがどのように解釈されているのかをここで考えていきたいと思います。

 太平洋戦争開戦の事象として「真珠湾攻撃」があげられます。1941年12月8日のことですね。これは本当でしょうか。既存の歴史家はなにをみて1941年12月8日としたのでしょうか。これは大きな疑問、「失われた環(ミッシング・リング)」です。なぜなら、真珠湾攻撃が行われたことの大本営発表原文は現存されていないからです。
 
 日本放送としては1941年12月8日、午前6時真珠湾攻撃開始と発表しています。しかし、この開始時間や記述は新聞とは大きく異なっています。
 
本八日
『大阪毎日新聞』夕刊
『山陰新聞』
今八日
『朝日新聞』(東京)特別版、夕刊
本日未明
『樺太日日新聞』
『朝日新聞』(大阪)第一夕刊

このように、微妙に開始時間は違いその種類は全部で6種類あります。確かに微妙な違いです。では、ここで始めの疑問に戻ります。
真珠湾攻撃は、いつ行われたんでしょう?

 いや、それは1941年12月8日に行われたんでしょうけど・・・では、この「失われた環(ミッシング・リング)」はどのように機能しているのでしょうか。そもそも公文章である大本営発表が現存していない今日、その意味を考察する必要性があるのではないでしょうか。

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2006-10-26 : 歴史研究 ~北東アジアの追及~ : コメント : 1 : トラックバック : 0
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変容する地域  ~琉球の消滅と沖縄の出現~

1、地域とは何か 
 地域とはなんでしょうか?どのようなフィールドのことを指しているのでしょうか?

 この問題に答えるには様々な事象の観察、考察を必要とします。とりあえず、定義として広辞苑、ブリタニカ国際大百科事典のものを揚げてみたいと思います。

「区切られた土地。土地の区域。」広辞苑より
「他から区別される特性をもった地表の部分。共通の一体性を持つ場合を特質地域、中心で相互に結びついて一体性を持つ場合を機能地域、または統一(結節)地域という。」ブリタニカ国際大百科事典より

 現代考えられる地域は広辞苑にもあるような「区切られた地域、土地の区域」、もしくはブリタニカにある「共通の一体性を持つ場合の特質地域」であるように感じられます。逆にブリタニカにある「中心で相互に結びついて一体性を持つ場合の機能地域、または統一(結節)地域」とはどのような形の地域なのでしょうか。具体的な例として近代日本の提唱した「大東亜共栄圏」などがあげられるのではないでしょう。日本を中心にして結びついている満洲や朝鮮半島、台湾、南方諸島(現在のミクロネシア諸島)、東南アジア諸国、などです。この地域は日本を中心として政治的、軍事的、経済的に一体性を持っていたと考察することができます。
 これらのことを念頭に置いて、琉球の消滅と沖縄の出現という歴史的な流動性の中で「地域とは何か」という問題を考えてみようと思います。

2、琉球の消滅と沖縄の出現
 19世紀末まで琉球、現在の沖縄は当時の中国王朝であった清朝と日本との間に相互に経済的、政治的、軍事的に従属的な関係であった冊封体制のもとにありました。それが日本の近代化の促進を元に変質していきます。
 まず、1871年の廃藩置県のおりに琉球は鹿児島県の直轄地となります。そしてこのことは当時冊封体制の宗主国であった清朝には伝えられませんでした。琉球は鹿児島県の直轄地となりますが清朝への朝貢は続けたため清朝へは琉球の鹿児島直轄の事件は伝わっていなかったのではと考察できます。
 次に、1875年に日本は清朝への進貢禁止など、清朝との関係に消極的になり、翌年1876年には清朝との国交断絶を琉球藩王に通達します。そのことに関しては琉球側、清朝側から抗議がきます。しかし、日本側は1879年に琉球藩を廃止、沖縄県を設置しています。これにより琉球王朝は完全に消滅し、沖縄は日本という地域に属することとなります。
 琉球の日本帰属に関して、宗主国であった清朝は猛烈に抗議します。それにより1880年、日本と清朝は宮古、八重山両諸島を分割贈与することで一応の解決を見ます。しかし1883年には清朝は琉球藩王の復位を日本に打診するなど、日清の認識の相違は続きます。これ以降、日本は琉球問題を解決済みというスタンスで清朝と交渉を進め、清朝は未解決というスタンスで日本と交渉を続けることになります。
 しかし、1895年の日清戦争の講和条約、下関条約で台湾が日本に割譲されると、琉球の帰属問題は自然消滅します。
 ここで注目すべき点は単に「琉球が日本に帰属された」という事実関係ではなく、その流動性の中で「琉球という一つの独立した国家であり、冊封体制という地域に属していたフィールドの一部が、日本という近代化をはかっていた国家、そののち大東亜共栄圏という一つの地域の形成を目標に行動していたフィールド一部に変質した」という部分です。

3、変質する地域
 ここから、琉球の「属性としての地域」が冊封体制の一部から日本という地域へ変質していったということがわかるのではないでしょうか。ここで始めにあげた広辞苑の定義、ブリタニカ国際百科事典の定義を再び見てみてください。この定義の中には一つ、完全に欠落しており、なおかつ最重要な項目があるということがわかります。つまり、地域とは固定的なものではなく、「歴史的に変質する」ということがいえるのです。歴史的には地域が区切られ、変質し、時代の流れと共に完全に一体化することもありうるのです。
 このような変質する地域は当時の社会にはいたるところで見受けられました。例えば、先ほど少しあげた台湾などは、清朝の一地域から日本に帰属され、現在では排他性を備えた主権を有する一地域にまで変質しています。他にも、現在の朝鮮半島にもそういった歴史的過程を読み取ることができますし、沖縄問題に関しても現在にまで影響力を有している事象であるといえます(主権国家→日本の一部→アメリカの主権下→日本の一部、米軍基地の密集地)。このように、地域の変質はいつ、どこでも起こりうる問題なのです。最近、北朝鮮の核実験問題が大きく取り上げられています。北朝鮮の今後の動向によっては、この北東アジアと現在定義されている地域も変質する可能性があります。ちなみに、歴史的に地域が変質する場合、様々な禍根を残すことが常でした(前述しましたね)。このように地域が変質することをどのようにとらえるのか、それは一種のリスクも想起されるものなのではないでしょうか。
 はたまた、近年新たに作り出された「北東アジア」という地域も可能性に満ちたフィールドであるということがいえます。このように地域とは未知数であり、変質する地域をどう見るのかが、今後重要となってくるのではないでしょうか。

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2006-10-25 : 歴史研究 ~北東アジアの追及~ : コメント : 0 : トラックバック : 0
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現在国際情勢と東アジアの地域性

 久しぶりにまともな更新をします・・・いろいろあったなぁ・・・とりあえずいろいろと様々なことが一段落しそうです。これから徐々にまともな更新をしていけたらなぁと思います。読みにくいかもしれませんが皆さんよろしくお願いします。暇な方がおられましたら一緒に語りましょう!!
 先日、北朝鮮から発射された7発のミサイルが日本海沖に着弾しました。それに伴い世界中が北朝鮮を警戒し始め、日本もとうとう経済制裁を強化しましたね。経済制裁までことが進むとは思っていなかったので少し驚いています。まぁここまできたらするしかないでしょう。
 さて、憲法上国防力が極めて低い日本は国際社会の場ではやはりアメリカの軍事力を盾に行動するしかありません。今回の件でもすぐさまアメリカとの連携を強化しました。アメリカの極東戦略が気になるところですね。
 ここでアメリカの「対北朝鮮戦略」と記することなく、あくまで「極東戦略」と記するのは東アジアにおける安全保障を語るとき、なにより日米関係を無視しては語れないと私が感じているからです。もはやヘゲモニーと言えなくなったとはいえ、アメリカは国際社会において強いイニシアティブを取っているということは否定できないでしょう。その中でアメリカは日本との条約上その守備範囲を「極東」としています。それに関してはこちらを。今回の北朝鮮問題を足がけとして、将来アメリカが「極東」にどのようなアプローチを仕掛けてくるのかと考え出すときりがないですね。(その前に目先の北朝鮮のことを考えろ!と思われるかもしれませんが・・・)
 「極東戦略」のことで、近日中はあまり強く意識されていないふしがありますが、米軍基地再編問題が起こっていますね。このことも忘れてはいけないように思います。
 さて、ここまでは日米関係を中心に書いてきましたが、Region Studiesを学んでおられる方だったら一つ気づかれたことがあるように思います。上記した文を読み返してみると『極東=東アジア』となっていますね。もう少し考えて見ましょう。『極東=東アジア=東洋』。違いはなんでしょう?ちょっとこんがらがってきますね・・・
 東アジア論が言われるようになったのは1960年代に「冊封体制論」が提唱されてからだと言われています。その論の中では東アジア世界を構成する5つの要素は「冊封体制、漢字文化、儒教、律令制、仏教」と言われています。・・・確かに。このように書くと日本、中国、韓国だけでなく、シンガポールなど、東南アジア諸国との関連性も生まれてきます。
 ・・・ちょっと待ってください。では、「極東=東アジア」でしょうか?アメリカのいう「極東」には独自の地域概念があるようには感じませんか?少なくともアメリカは上記した「東アジア世界を構成する5つの要素」をまったくといっていいほどかねそろえてはいません。この「極東」という地域性はアメリカのエスノセントリズムを強く感じる概念であるいうことができます。確かに条約上は強いイニシアティブを持っているアメリカですが、歴史的なアプローチをしていくと「極東」という地域概念は説得力に欠けます。
 さて、「東アジア=東洋」の違いですが・・・これについては棚上げ!!(笑)こっちのほうに少し書いた気がします。あまり参考にはなりませんが・・・
 もう一つ、現在私たちが想定する東アジアという地域性自体が、例えば「東亜新秩序」、「大東亜共栄圏」などといった日本人が持つ歴史的なエスノセントリズムに凝り固まった概念である可能性があるということをお忘れなく!
 東アジアの地域性の議論は国際情勢が転換期に差し掛かったときに進展していきました。例えば前記した「冊封体制論」が提唱されたのも60年日米安保の時期と重なっていますね。今日、北朝鮮問題や米軍基地再編問題など、様々な国際的問題と日本は直面しているといえます。この時期に「東アジアとは何か、どこか、誰か、なぜか、どのようにか」といった疑問を投げかけてみるのも学問的向上を見たとき有効なのではないでしょうか。(と、いってみるとすこぶる不謹慎かもしれませんが・・・)

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2006-07-08 : 歴史研究 ~北東アジアの追及~ : コメント : 0 : トラックバック : 0
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歴史の中の新聞

歴史を学ぶ上で当時の新聞記事を読むことはすごく大事です。読みにくいですけど・・・

新聞記事文庫

こことかです。面白い記事もいっぱいあります。

大阪毎日新聞 1913.10.26(大正2)
[南満洲鉄道株式会社]


これとか必須です。
当時の新聞を読むことはすごく大変な作業ですが必須ですよ!みなさんも暇な時間に探してみては?

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2006-06-05 : 歴史研究 ~北東アジアの追及~ : コメント : 0 : トラックバック : 0
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満州国の熱い資料

 時間があったのでアジア歴史資料センターをうろうろしていたら面白い資料を発見しました。一度読んで見られては?

【表題】
満洲国ニ於ケル治外法権ノ撤廃及南満洲鉄道附属地行政権ノ移譲ニ関スル日本国満洲国間条約締結及関係公文交換ノ件(十月十八日(一回)~十月二十日(二回))
【作成者】
枢密院
【作成年月日】
昭和12年10月18日
【レファレンスコード】
A03033300800
【出展】
アジア歴史資料センター
http://www.jacar.go.jp/index.html


まぁ参考までに。満州国研究の人は特に必須資料ではないかと。

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2006-05-23 : 歴史研究 ~北東アジアの追及~ : コメント : 0 : トラックバック : 0
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『満洲の日本人』について

 『満洲の日本人』のレジュメを発表しました。結果はまぁ最悪だったんですが、とりあえずもう少し書評をうまいところ作れるようにならないといけないなぁと思いました。もっと読み込まないとなぁ・・・
 この本は満洲の中で住んでいる日本人を対象にした本です。なので満洲の中に住んでいる日本人のことを体系的に学ぶにはいい本だと思います。ただし、期間が19世紀末から1931年にかけてですので満州国が建国されてからの動向はつかめません。
 さらにあくまで日本人の話ですので他民族で構成されていた満洲を理解するには不向きな本だといえるでしょう。
 異文化理解とはやはり異文化との接点の中に生み出されるものです。満洲の中の日本人はほとんど異文化と接していなかったということは記述されていましたがではどこで接していたのか、そこで何が生み出されたのかを考察していくことが重要でしょう。
 とりあえず、もう少し満洲についてリサーチを続けようと思います。

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2006-05-10 : 歴史研究 ~北東アジアの追及~ : コメント : 3 : トラックバック : 0
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プロフィール

Hiroshi

Author:Hiroshi
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初めまして、こんつは。
Hiroshiと申します。
どうぞよろしくお願い致します。
私生活を脈絡なく綴る
日記ブログです。

○登山・・・鳥取県大山中心に
・まだまだ初心者です。
・米子クライマーズクラブに所属。


○バイク・・・たまにツーリング
・愛車:CBR250R 2013年式
・バイク歴は7年くらい

○カメラ始めました:
・愛機:Pentax K-70

○キャンプ・・・
・最近は登山&キャンプ、
ツーリング&キャンプの合わせ技が多い

島根県在住

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