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虐げる歴史、憤怒の人  ~歴史をどう見るか~

 1980年代の日中戦争に関する歴史書を読まれたことはあるでしょうか?私が読んだものはいささか客観性に欠けるものでした。以前盧溝橋事件について書いたとき、チラッと眼を通したものなのですが、あの事件は夜間北京郊外において夜間演習を行っていた日本軍側に問題があったと公然と明言してあったのです。(夜間演習を行っていたのは事実ですけど)この視点は少々自虐的というように私の目には映りました。(一つ言及しておくと、当時はまだ資料が少なかったためこの地点までしか認識できなかったという側面があります。過去の歴史家が偉大であったという事実を否定するものではありません)
 そのような書籍から歴史を学んだ私たちの世代(私は今年21になりましたが)は、この認識への反発を持っているのかもしれません。現代の政治的、経済的、(とかく、これは軽視されがちですが)社会的な事実を無視して孤独に走り続けているようにも見えます。

 現代の貿易依存に関してはこちらを。
ジェトロ - 日本貿易振興機構
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 もちろん批判は何に対してもできます。社会は、同様に科学はまだ完全ではありません。(この批判は非望・中傷を含みません)しかし、これらの批判が何も生み出さないというところから、この独走は「自虐史観」と呼ばれることがあります。
 これらは果たして生産的は歴史認識でしょうか?疑問に思うことはありませんか?なぜ、批判するのでしょう?最近はよく中国、韓国に対する批判(非望、中傷)が多くなされていますが、それらはすべてどのようなビジョンに基づいて行われているのでしょうか?これらの疑問には全て「なぜ?」という問題はあるにも関わらず、「どこへ?」という問題に関しては触れられていないように感じます。
 「どこへ?」という観点のない議論は歴史認識の上ではほとんど意味をなしません。歴史はその断片で起こっていることが全ての事実ではないのです。その流動性を無視した論は論としての説得力に欠けます。
 歴史は時に至極残酷で、私たちをあざ笑うでしょう。それでも私たちがしなければならないことは、過去を現代でどのようにあつかい、それを未来にどのように活かすか、つまり「どこへ?」という感覚の確保なのです。これには一つの古典にまでさかのぼり、現代の歴史認識を改めなければいけません。

「歴史とは、歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現代と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのです」
   -E.H.カー  『歴史とは何か』より抜粋-
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テーマ : それでいいのか日本国民
ジャンル : 政治・経済

2005-12-07 : 歴史認識 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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Author:Hiroshi
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Hiroshiと申します。
どうぞよろしくお願い致します。
私生活を脈絡なく綴る
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○登山・・・鳥取県大山中心に
・まだまだ初心者です。
・米子クライマーズクラブに所属。


○バイク・・・たまにツーリング
・愛車:CBR250R 2013年式
・バイク歴は7年くらい

○カメラ始めました:
・愛機:Pentax K-70

○キャンプ・・・
・最近は登山&キャンプ、
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